2015年8月21日金曜日

東北行ってきた

原付で

荷物は肩掛けカバン一つだけ
例によって地図なし、カッパなし、スマホなし
事前にルートを詰める余裕がなかったので、1号線をざっくり東京まで行って、ざっくり東北方面の国道に出ればいいだろう的なあやふやなルート設定でとりあえず出発する

距離は32,629.6km
出発は8時

静岡の原付不可のバイパスを避けながら1号線をまっすぐ走って、箱根着
箱根の登りは2速でしか登らなくて笑うしかない

すでに夕方
箱根の下りは気持ち良く走れるかと思ったら大渋滞だったンゴ…

お、東京タワーだ

適当に1号線を走って突き当たりまで行けば東北方面へ行けるだろう、みたいなあやふやな地理感で都内に突入したせいで、なぜか豊洲に出てしまう
てかいきなり右に3車線寄れとか原付に言われても無理なんだよなぁ…


位置関係がすっかりわからなくなったので(地図もないし)豊洲の交番でおまわりさんに道を尋ねる
俺「すいません東北行きたいんスけど」
おまわりさん「え?」
俺「え?」


三原橋まで戻って右曲がったら中央通りっていうかもうそれ4号線だよと教えてもらいその通りにする




4号線をひたすら北上していくと、足立区でおまわりさんに止められた
夏休みということもあり、最近ひったくりなどが多くて原付に声かけを重点的に行っているそうな
名古屋くんだりからわざわざひったくりしに来ねえよ!
「名古屋ナンバーはじめてですよ」と言われたけどそらそうやろな


俺「足立区はモヒカンでヒャッハーな人いるって聞いたんですけどw」
おまわりさん「あ、それは西新井の方にいますね」
俺「(いるんだ…)」


足立区は物騒なので気をつけて下さいねとおまわりさんに念押しされて再出発
どんだけ物騒なんだよ足立区…


2日目



東京を出たあたりで日付が変わり、しかも雨まで降ってきた
やべえよやべえよ、カッパ持ってねえよ
コンビニで雨宿りを繰り返しつつひたすら北上
つうかなんだよ福島まで250kmって…福島遠すぎだろ…
雨だし夜だしどこ走ってんだかよくわかんないまま青看板の4号の標示だけをたよりに北上していたが、那須塩原の手前あたりでついに不安に負けて地図を購入
また己に負けてしまった…


宇都宮を越えたあたりから、車の流れが異常に速い。原付じゃついてけねー
そして眠い。猛烈に眠い。あと寒い

郡山を過ぎる頃には大分明るくなり、雨も小止みになってきた
福島の手前で、走り始めから24時間後の朝8時にネットカフェに転がりこむ
つうかね、もう眠さが限界なんですよ

3時間ほど仮眠を取って、11時前に再出発

気付いたらチェーンカバーのボルトが一個脱落している
くっそーこのボルト高いのに…と思いながら残ったボルトを手締め
いまにして思えば、このときちゃんと車載工具で締め付け直していれば後の悲劇は防げたのに…

13時半に仙台駅に到着
駅ビルは工事が進んでいて4年前とは雰囲気が違う

メーターは33,382.0kmで、ここまでの距離は752.4km
途中途中で少しロスがあったからこんなもんだろう
仮眠3時間を含めかかったのが29時間半と考えると案外近いもんである
道が分かってればもうちょっとはやく来れるかもしれない


仙台駅で4号線の旅は終わり、次は45号線の旅に変わる
仙台のコンビニで今度は東北の地図を購入


塩竃の港は、いくぶんすっきりとして遊覧船の運行も再開しているようだ

ところどころにバリケードは残っているものの、土産物売り場には行楽客がたくさん来ていた


塩竃を出たところでまた雨がひどくなり、ワークマンでカッパを買う

松島は、島に守られているせいかあれほどの津波でも被害が少なかった地域で、観光客も多かった
このあたりの記憶があまりないのは、車に乗せてもらって通過したからだろう


駅前のマリンピアは取り壊しが進んでいた


今年の5月30日から全線運行再開となった仙石線の終点石巻駅

着いたのは17時ちょっと前
背負っていた荷物の重さもあったが徒歩だとあれほど長く感じた道程も原付だとあっという間だ


石巻VC(ボランティア・センター)のテントサイトがあった石巻専修大学
この大学の広い芝生にテントを並べ、夜は無料の屋台が並び、さながらフェスのような雰囲気だった


ここからさらに女川に向かうが時間を考えて石巻で一泊することにする


3日目

石巻市街の元気の湯に入って疲れと汚れを落としてから、ネットカフェに
正直なところ、石巻にもネカフェがあるということに驚いた
ネット回線と寝床が2千円そこそこで利用できるって素晴らしい
雨じゃなければ道端で寝たっていいのだが、人目もあるし、道端じゃあまり疲れが取れない

疲れが出たのか少し寝すぎて9時に出発

石ノ森萬画館の横の橋を通って女川街道を女川方面へ

出発から40分もかからず女川の病院
石巻からこんなに近かったのか


自衛隊の風呂があった女川総合体育館の前は立派な公営住宅に変わっていた
ミヤコーバスのバス停のとこに小屋ができてる


役場の駐車場にいたワンコロはどこにいったのだろうか

女川のVCがあった当時仮設役場になっていた女川小

駐車場だった方にプレハブの仮設役場ができていた

 4年前にツェルトを張って(というかただ被って)寝泊りしていたのは赤い車の前あたりだった

石巻線の終点女川駅の駅舎
2階部分は町営の入浴施設になっている 

駅前に足湯があった

4年という月日が短いとは思わないが、4年経って劇的に復活を遂げている、なんてことはなかったのだった
一歩一歩地道な再建を続ける他ないのだろう、次の世代のために


ここから更に南三陸の方へ走っていく
4年前は通れなかったルートだ

南三陸の手前にある神割崎という景勝地

字づらから想像した通り、神が岬を二つに割ったという伝説がある
隣にキャンプ場もあって、なかなか良さそうなとこだった

南三陸を抜けて気仙沼の手前でガシャーンという音とともにチェーンカバーが脱落

落っこちたチェーンカバーを拾って荷台に縛りつけてまた走る

コメリがあったので

M6ボルトをゲット
110円

やれやれ…まさか車載工具を使うハメになるとは…

10mmじゃちょっと長いが普通に付いた
応急処置だけど、別にこのままでも何も困らない気がする

そうこうしてるうちに陸前高田着
南三陸と気仙沼はなんだか写真撮る間もなく通過してしまった


なんかやたらでけー構造物が張り巡らされてて、どうやら山間部から切り出した土を運ぶためのベルトコンベアーらしい

わりとすごい光景だった
もっとちゃんと写真撮れば良かった


あーなんかこの看板見たことある
ここにあったんだ

そういえば奇跡の一本松ってあったなと思って見に行った
別にこれがあるからどうってわけじゃなけれど、こういう「写真を撮っても良い場所」を作っておいてくれたことがありがたいというか
女川からここまでの光景にわりと打ちのめされていたところだったので、一本松も含め、復興へのストーリーがちゃんと用意されていることに若干救われたというか
復興予算の使い途としてどうなんだとかいろいろ言われたけど、あの時点でこういう決断をしたことにやっぱ意味はあったんだなと今になってみて思わざるをえないというか
陸前高田の市長、あんたやっぱり偉かったよ


ほんと言うと、ここからさらに釜石ぐらいまで視野に入れてたんだけど、なんかもう満足しちゃったというか、この先を見るのが怖くなってきたので、時間的なこともあるし陸前高田を一応の目途として仙台方面に引き返すことにする

メーターは33,603.5km
総距離973.9km



陸前高田を出てすぐに鹿が落ちていた


車にでも轢かれたんだろう、かわいそうに

これ以上轢かれるのもかわいそうだし、通行の邪魔にならないように道路の端に寄せておいた
動かすために足を掴んだらまだ暖かかった

興奮していっぱい写真撮っちゃったよ


4日目

陸前高田から今泉街道を一関まで戻って4号線に出る
雨はますますひどく、今度はクラッチの調子がおかしくなってきた
クラッチリターンスプリングがへたってきてるのかシフトチェンジしたあとレバーが戻らない
だましだまし名取まで走って4号線沿いのネカフェに泊まることにする

朝8時
出発の前に…

クラッチの調子が悪いのでクラッチリフタカバー外す

 クラッチリフタのロックナット緩めて

クラッチレバーが戻るところまでネジを緩める
あんまり緩めるとクラッチ切れなくなるのでギリギリのところで調整

このレバーがこういう風に戻らなくなってた
帰ったら1回ちゃんとメンテしないとな…


名取から岩沼で4号線を降りて、6号線を南の方へ

しばらく走っていたら今度はウィンカーが取れかけていた
連日長距離を走りたおしているせいか、振動であちこちが弛んできているみたいだ
取れないようにしっかり締め直しておく

道の駅、南相馬
10時着

このあたり
さらに6号線を南下していくと小高を過ぎ、浪江に入ったあたりから人の気配がなくなる
いきなり雰囲気が変わってくるのがかなり衝撃的だった
急に時間の流れが違うエリアが出現したような

それでも南下を続けていたら
おまわりさんに止められた
まあこの地点でも福島の原発から直線距離にして5~6km、すんなり通れるとは思っていなかったけど、車がバンバン通っていたので流れで突っ切れるかと思ったがやっぱり無理だった

止められたのはここ

原発まではこれぐらいの距離感である


車は通ってもいいがバイクは通行不可とのこと
バイクだと体が露出しているからだろう
愛知から来ているというおまわりさんとしばし談笑したが、「どこが規制されてるかわからないので相馬まで戻った方が確実」という話なので相馬まで戻ることにする
かくいうおまわりさんたちはなんの防護もしていなかったみたいだけど、こんな原発の至近でずっと働いて体は大丈夫なんだろうか
公僕の皆さんは大変じゃのう…

ということで戻ってきた道の駅 そうま
ちょうどお昼前だったのでラーメン食う

70km以上ロスしたことになるけど、ここに至ってこれぐらいの距離はなんでもないように思えてきた
ほんとは、いわきの常磐ハワイアンズに行きたかったのだけれど、あきらめて帰ることにする

間をざっくり飛ばして越谷
帰りの4号線は終始雨。というか土砂降り。つれー
距離より排気量より雨がつれー

5日目

都内を抜ける頃には日付が変わり、横浜で間違えて自動車専用道に乗りいれそうになったものの、車も少なかったし割と難なく通過
小田原あたりで雨が止んだが濡れた体は濡れたまま

箱根
暗いわウェットだわ登らないわで四苦八苦しながらの箱根越え

芦ノ湖あたりで夜が明けた
あとはひたすら1号線を名古屋へ


12日からの3日間ずっと雨に濡れっぱなしだったせいで足がふやけて歩くと痛い

きたねー足で恐縮だがこんなにシワシワになっちまった


帰りも静岡のバイパスを避けて、名古屋に着いたのは13時頃
お盆のせいか豊橋からこっちは車が多くて大変だった


メーターは34,609.9km、距離にして1,980.3km
2000kmにはあと20km足らなかったか
3日目からの全ルートはこんな感じ

なんにしても疲れた…