インドに行っている間に、鍵を紛失したせいで放置しっぱなしだったスーパーカブが盗まれて無くなっていた。
なにしろインドに行く前は、ガチで2,000円ぐらいしか現金を持っていないという有様だったので、キーシリンダー交換どころか、シリンダーからの鍵の複製費用すらままならず、仕方なく放置していたんである。
ちなみにその2,000円といくらかのお金は、スニーカー(まともな靴さえなかった)と空港までの交通費に消えた。
それでというわけではないが、最近小金も貯まったので 某オークションでたまたま目についた原付を落札したのが今月のはじめのことであった。
盗まれた4速のスーパーカブカスタムが気に入っていたので今回もカブを買うつもりだったが、4速で丸目でカブエンジン、しかも値段のワリに程度が良い、キャ リアもある、ということで出物があったCD50にしてみた。いままでカブとスクーターしか乗ったことがなく、ミッションのバイクはインドに居たときにちょろっと乗ったぐらいで不安もあったが何事も慣れである。
まあといってもCD50のミッションは リターン式じゃなくてロータリー式で、これまたちょっと独特なんだけど
ヒマが取り柄のニートのくせにこういう時に限って仕事が埋まり、なかなか遠出もできず。少しでもミッション操作に慣れようと、夜に家の近所をぐるぐる走り回ったりして過ごす。
じりじりと待つ一週間が過ぎ、ようやく連続で予定が空いたのが13日~16日の4日間。
ということで12日の夜に行程を練る
これで片道111kmほど
のんびり行っても日帰りの距離である。
何年か前、バイトの夜勤明けにそのまま富士山までカブで行き、富士宮口5合目から5時間で登頂・下山してカブでまた寝ないで走ってバイト先の夜勤に直行という、0泊2日往復500km(富士登山込み・前後夜勤)の旅をしたことがあるが、片道111km程度じゃ4日も休みがあるわりに物足りない。
どうせ4日もあるのだし、片道500km、往復1,000kmを3日間で、という超絶アバウトな距離の見積もりを先に立て、Googleマップを開いて名古屋から500kmぐらいで行けそうなところを物色すると「しまなみ海道」というのがあった。
「四国まで唯一原付で渡れる」
「しかも片道500円で」
これはちょっと面白そうじゃないか
しかしただ橋を往復してもなんなので、せっかくだから松山まで、というと片道600kmぐらい。ちょっと距離が多いが、まあなんとかなるだろう。
他にも関東方面か、北陸方面のどこかを考えてはいたが、関東方面は富士山以外にも車でさんざん通ったことでもあるし、北陸方面は道のりがずっと山間部という ことでパス。山陰方面は行ったことが無かったので行って見たかったが、達成感的に「しまなみ海道」に勝てる物件が見つからず今回は見送りとなった。
これまた10年ほど前に「眠らなければ日帰りである」を合い言葉に0泊3日博多日帰りツアー「ご当地キティちゃん集めの旅」というのをやったことがあって、そのときは 2人交代で友人の車を運転してほぼノンストップで1600kmを55時間(うち45時間が移動時間)、しかもその直前に2mぐらいの足場から落ちて左ひじ が粉砕骨折したばかりでギブスを巻いていた(そのギブスは旅の途中でどこかへ消えてなくなったが)。とまあ山陽方面は一度ぐらいは通ったことがあったのも 理由の一つである。
もっと時間があったら東北まで行きたかったが、片道800kmを4日で往復するのは、原付ではちと辛いってか不可能
帰宅して数時間、そんなこんなを考えながらできあがったのがこのルートである
まず鈴鹿山脈を越えてピエリ守山に行く
それから1号線沿いに京都
そのまま直進すると1号線は9号線に変わり、そこから亀岡で曲がって篠山街道へ
篠山街道から姫路~岡山・倉敷~福山と抜けてしまなみ海道の基点である尾道
尾道からしまなみ海道を渡り、今治、そこから松山
帰りは松山からしまなみ海道を逆に抜け、倉敷へ
時間に余裕があれば倉敷から宇野港、さらに直島
大阪までは2号線、大阪からは旧の名阪国道を通って名古屋に帰る
そういう予定をとりあえず立てた。
ピエリ守山から先はあくまで"ついで"である。
グーグル先生は最短ルートは教えてくれるが、「その道が原付で走行するのに支障ないかどうか」までは教えてくれないため、毎度のことだがところどころ原付で走行できないバイパスが含まれている。
日本の道路設計は原付みたいな乗り物で主要都市間の長距離を移動するなんてことはまるっきり想定していないんである。
そのうえ原付の場合の移動時間がどれだけかかるのかも教えてくれないので、経験的に「これぐらいだろう」という見込みで考えるしかない。
ま あ初日(24時間以内)に姫路より先のどこかに到達できればオンの字であろう。500kmを1day、というのが一応の目標値である。当然20時間ぐらい は運転することを前提としているが、なにしろ京都以西はまるで勝手が分からないので距離もそれほど稼げないだろうとは思っていた。
細かい行程をさらに詰めたかったが眠かったので早々と就寝。
5時ごろ目を覚ましたので、6時を出発時刻とする。
0時頃から夜通し走ってもいいのだが(その方が効率がいい)、そうすると営業がはじまるはるか前にピエリ守山に着いてしまうので、たまたま5時に目が覚めたのは丁度良かった。
一応出発前にメーターをチェック。
メーターは26,999.0km。買った時からそんなに増えてはいない。
ちなみに地図はない
おまけにスマホもない。荷物も肩掛けカバンひとつと、荷台にくくりつけた合羽と防寒着ぐらい。
なんとなれば今回の隠しテーマは
基本的に何か困ったら
金で解決!
という方針
予定通り6時出発
近所のGSでガソリン満タンにしておく
国道1号から桑名を右に曲がり、三岐鉄道北勢線沿いに員弁(いなべ)の奥地に入っていく。
これ以上行くとコンビニがなくなるあたりで左に曲がると石榑峠(いしぐれとうげ)である。
山間部はさすがに寒く、峠の途中で荷台にくくりつけた合羽を引っ張り出して着た。
鈴鹿山脈の竜ヶ岳と釈迦ヶ岳に挟まれた石榑峠から国道421号を琵琶湖に向けてずーっと下って行くと自然に近江八幡にぶち当たる。
着いたのは10時半ごろ
せっかくなので寄ってみる。この頃はまだ精神的にも体力的にも余裕があったのだ
てっきり近江八幡という名の神社があるのだと思ったが、麓にあるのは日牟禮八幡宮
草創は131年。元は八幡山頂に宮社があったが16世紀末に豊臣秀次が城を築く際に下の社に合祀されたらしい
写ってないが画面外右手に能舞台がある
この日は婚礼でもあるらしく、晴れ着の姿がちらほら
余裕がありまくりだったので八幡山頂までハイキング
八幡山展望台
湖東平野に浮かぶようにぽつぽつと並ぶ小山の群れ。戦国時代はあれら小山のあちこちに山城があったんだろうなぁとかぼんやり思う。
このへんの見えてる山のどっかに安土城があるはず
秀吉の姉であり秀次の母、智が開いた瑞龍寺
昭和38年(36年?)に京都からここへ移された
登るだけで体力を使い果たしたので帰りは軟弱にロープウェーで下ることにする。
料金は片道460円
近江城下が一望できる
琵琶湖南岸の湖周道路と中山道をあわせて「さざなみ街道」となっていて、ドライブやサイクリングが楽しめる。
暖かでお天気の良い3連休の中日ということもあり、たくさんのライダーやチャリダーとすれ違った。
景色も良く、Tシャツ一枚で走るのが楽しすぎて写真はない。全行程中、この時がもっとも薄着だった
そして11時半ごろ、今回の旅の唯一の目的地であるピエリ守山に到着
あれ?なんか…人多い?
それでもあいかわらず閑散とした館内
うわぁーネットで見たまんまやん!
ちびっ子どころか人っ子ひとりいないキッズコーナー
この人の少なさならスーパーボールもすくい放題である
たぶんネット見て俺みたいな興味本位の冷やかし連中がたくさん来たんだろうなぁ
撮影禁止の貼り紙ががが
琵琶湖にバスボートがたくさん出ていた
広大なフードコートで一店舗のみ営業していたリンガーハットも15日でついに閉店ということで、閉店前の最後の食事を楽しむ
清水寺の脇を通り抜け、数々の名所・旧跡には目もくれず、一直線に西進。
あっという間に京都は後ろに過ぎていく
篠山街道(国道372号)に入るつもりだったので、青看板に372の文字を探しながら走るがどこまで行っても見当たらない。
どうやら見落としたらしい。
ここが地図を持たない弱さである。「あれ、なんかおかしいな~」と思いながらも山陰道をどんどん進んで行く俺。知らない土地で、こういうときに焦って変なとこで曲がったりすると往々にしてドハマりするのだ。
これは山陰道(国道9号線)を福知山に入ったあたりの風景。
この写真を撮ったときはまだここがどこだか全く把握していない。
それにしてもこういう時期の日本の里山というのは本当に美しい
さびれた、というかさびれ尽くしたダイナーがあった。
とうとう福知山市入りするに至って、どうやら完全に道を間違えてあらぬ方向へ来てしまったことに気付く。いや、うすうす気付いてはいたのだが「もうこのままではどうしようもない」というレベルにまで道を間違えてしまったことを認めざるを得なくなる。
なにしろ、このまま進むと鳥取に着いてしまう
止む無く、コンビニで地図を購入。「地図を持たない」という縛りが初日にして早速崩れてしまったがそんな悠長なことも言ってられない状況である。
現在地すらわからないため、コンビニの外にいた優しそうなおじいさんにここがどこだか訪ねると、福知山市街のすぐ手前だということがこの段階でようやく発覚。
一瞬、このまま鳥取まで行ってしまおうかとも考えたが、どう考えても日程がおかしくなりそうなのでそれは止め、JR福知山線山線沿いの国道175号経由で篠山街道(国道372号)に復帰することにした。
本来のルートではこう行くつもりだった
しかし亀岡で曲がり損ねてしまった俺が実際に走ったのはこう
実に50kmのロスである
アップダウンの激しい福知山までの道のりに要した無駄な苦労とガソリンを返して欲しい。
道の駅「丹波おばあちゃんの里」にて
CD50(に限らないが)のライトは暗く、夜道を走るのは難儀する。
次のカーブがどっちに曲がっているのか直前にならないと分からないというのは怖いもんである。
ていうかめちゃくちゃ寒い!途中のコンビニでネックウォーマーを購入。コンビニさまさまである。しかしどんどん荷物が増えていくな…
あとヘルメットが微妙にあってないのか頭が痛い。いままでホームセンターで買った適当なメットしか被ったことないけどこんなに頭痛くなることなんて無かったのに…
ヘルメットのフィッティングは重要
である。今回の旅で学んだ貴重な教訓だった。あと
地図はやっぱり必要
もしくはスマホ
冷え切った体、バイクを降りても頭が痛い、最悪のコンディションである。
駅前を東西に走るメインストリートが一方通行とかなんてふざけた街なんだ姫路
ここまでの総距離330km、時間にして14時間弱。よく走ったものである。
姫路駅前のアーケード
駅ビルの北側はなんか工事中
姫路の雰囲気はどことなく仙台に似てるなぁなどと思ったりした。
頭痛がひどくてちっとも収まらないので泊まるところを探す。ネットに繋がる携帯を持ってないので足で探すか人に尋ねるかしかない。(ていうか、ちょっと前までそれが普通だったよね)
駅の北側に某全国チェーンのホテルがあったので空室状況を尋ねると、あいにくシングルは満室とのこと、駅周辺をうろうろすると南側のロータリーの横にもこれまた違う全国チェーンのホテルがあったが、こっちのシングルの値段がさっきのチェーンのダブル相当だったので、どうしようか悩んだ挙句ネットカフェに入った。
ネットを使わない縛りもここで終了である。
(しかしネカフェのPCがいまだにPen4だったのには参った)
しばらくネカフェで仮眠を取ると、少し頭痛が収まってきた。冷え切っていた体もちょっと元気を取り戻した気がする。時刻は既に0時に近い。今から宿に入るより(日程的にも)もっと先へ走った方が良い気がしてとりあえず走り出した。やばくなったらまたネカフェに駆け込めば良い。丁度よくネカフェがあるのかどうか、それはわからないが。
どうにも寒いわ眠いわ
とくに膝頭が超絶冷えるので貼るホッカイロミニを2枚ずつ4枚貼り付ける。4枚も貼ったワリにめちゃくちゃ暖かくはならなかったが冷えは若干やわらいだような…。お腹と背中にもでかいのを一つずつ貼る。とくに背中(腰のあたり)のがよく効く。
バイク用のズボンは膝にホッカイロ用のポケットをつけとくべきだと思う。
原付専用道で尾道大橋を渡るとそこはもう向島である。
尾道大橋は2013年4月から通行無料になったようである(ちなみにそれまでの通行料は10円)。
向島から見た因島大橋。早朝6時半ごろの写真。
ロクに下調べもせずに出発した俺は、ここに来るまでてっきり500円払えば四国まで一気に渡れると思っていた。最初に500円払えばそれでいいと思っていた。しかしどうやら違うようなのだ。
西瀬戸自動車道は尾道から今治まで
島と島の間にはそれぞれ
つまり金を払って橋を一つ渡ったら、次は島の反対側まで下道を走り、そこでまた次の橋を渡る、というのを7回繰り返すのである。
なんというめんどくせぇ…
しまなみ海道の原付・自転車歩行者道というのは、島々に暮らす人々の生活道路でもあるのでそれも致し方ない。
しかし、それによって高速道路部分でさえ総延長59.4kmに及ぶ西瀬戸自動車道は、総距離約70km、橋ごとに最大高低差70mのクソ狭いワインディングを伴う、サイクリングコースとしても原付道としてもかなり過酷な部類のルートと化すのだ。
ただし眺めは良い。最高だ。
これを面白いと思うかは好みの分かれるところだろうと思う。
それにしてもルートが分かりづらい。自転車ならともかく原付で初見だと結構迷う。
俺の感想は
「1回なら楽しいけど帰りは通りたくねぇ…」
であった。しかも帰りにここを通る頃には暗くなっている公算が高い。
とは言え、これが原付で四国に渡れる唯一の道である以上、帰りもここを通るより他ないのである。
ちなみに通行料は
となっていて、あらかじめ50円玉を4枚・100円玉を3枚用意するか、50円x10枚綴りの回数券を買っておくのがいいだろう。俺は50円玉が足らなくなり、一部100円玉で支払った。
バイクブログによくありそうな写真を撮ってみる。合羽も防寒着も既に着てしまっているので荷台に載っているのはタオルしか入ってない袋である
因島大橋へ向かう自転車の車列。こういうガチな自転車乗りが思いのほか多かった。
あとで知ったが、しまなみ海道は一部では「サイクリストの聖地」などと呼ばれているらしい。
案内看板。ところどころにあるが原付なのでロクに見ることはない
原付・自転車歩行者専用道の入り口。対向車線と併せて全幅2.5mしかないのでけっこう狭い。あと車道から隠れていることも多く、入り口が分かり難い。
自動車道の橋下を通る因島大橋の専用道
料金ポスト
なぜか恐竜がいる。
生口橋。カップ麺で朝食を済ませた直後。気付いたらラーメンしか食ってねえ!
絶景絶景
こういうアングルで写真が撮れるのも"しまなみ海道"の醍醐味の一つである。
入館料900円
郁夫ちゃんって生口島出身だったのね、全然知らなかった。
小ぢんまりとしたエントランス
ロビーまでは撮影可でございます…
出身地らしく、小学生頃からの子供らしい作品も展示されていて、「こんな昔の絵を晒されるとか、さすがの郁夫ちゃんもこれはたまらんだろうなぁ」と思ったり…
しかしやっぱりあの色彩感覚というのは中学生ぐらいから既にある程度確立していて、さすがにそこは才能なんだなぁと
急に南国情緒たっぷりになってきた
なぜか置いてある海自のヘリ
これはSH-3 シーキングかな?
すぐ後ろに書家の村上三島(むらかみさんとう)の記念館があって、どうやらそのゆかりということらしいが…
多々羅しまなみ公園にはこういうリア充がいっぱいいます(白目)
道の駅・多々羅しまなみ公園
しまなみ海道だけあって原付だらけ
わりとあっさり通り抜けたが、多々羅と大三島には温泉もあったり、多々羅大橋での鳴き龍現象とか
"しまなみ海道"周辺だけでも、いろいろもっと楽しめるポイントがあったみたい。でもそんなことは知らず全スルー
下調べは大事だよ!
やっぱスマホ欲しい…
来島海峡大橋からの瀬戸内海
すばらしいお天気に恵まれました(この日までは)
あれがっ!あれが四国じゃぁあああああ!
っていうテンションでは全然ありませんでしたけれども…
糸山公園で橋を降り、"しまなみ海道"も一応の終点。
今治市街を掠めて国道196号・今治街道へ
海沿いに走る国道をひたすらまっすぐ走っていくと、自然と松山の中心部、松山城のすぐワキにたどり着く。
こういうなんも考えなくて良い道は先生大好きだよ
11時半ごろ松山市街入り
松山城郭からの松山市街
日本に10個ある松山城の一つで日本三大平山城(ひらやまじろ)の一つ、松山城。別名・金亀城(きんきじょう)
城めぐりみたいになってきたが別に城好きではない。
あの天守まで132m、らしい
太鼓櫓(やぐら)前の坂。近くにいた観光ガイドのお姉さんが日本の方ではないらしく、カタコトの日本語で松山城の説明をしていて俺の中に衝撃が走る。
とうとう外国の人に日本の良さを解説される時代になったかー
太鼓櫓のアップ。何度も言うようだが別に城好きではない。
重要文化財の大天守。前の人は別に知り合いではない。
天守閣観覧料500円だが時間もないし結局中へは入らず
ギーギーともの凄い音を立ててトラムが走っていた。
時間があったら乗ってみたかった。
なかなか風情のある道後温泉駅の駅舎
『千と千尋の神隠し』に出てくる油屋のモデルになったとも言われる道後温泉本館
入湯料はたったの400円である。湯船はちっちゃかったが、風情があってなかなか良いものだ。
外国人観光客もちらほらいた。
松山は観光ガイドがあちこちにいて、俺のような何も知らない風来坊にも親切に案内してくれて、フレンドリーで良いところである。
道後公園の横を通り抜け、国道317号を今治方面へ
すぐに山間部に入り、せっかく温泉であったまった体が早速冷える。あと温泉に浸かったせいか眠い。
よく考えたら前日の早朝から30と数時間、姫路のネットカフェで仮眠を取った以外は走りっぱなしなので当然か…
あまりにも眠いので国道脇の退避スペースでまたバイク旅っぽい写真を撮って、このままこの場所にゴロっと横になる。寝てたら他の車が入って来てあせったが、20分ほど仮眠。アスファルトあったかいナリィ…
車と違ってさっと仮眠が取れないのがバイクの辛いとこである。
途中まではまだ明るかったが、走っているとあたりはどんどん暗くなっていく。
真っ暗な因島大橋。ここを原付で走りぬけるの楽しいけどちょっと怖い
尾道大橋を通って本州へ帰還。
尾道から国道2号を逆戻り。今度はなんとなくわかっているので気は楽だがやっぱり寒い。再びホッカイロを体に貼り付けまくり、ひたすら走る。
今晩こそは宿を取ってきっちり休むと決めていたので国道2号を降りて倉敷市街へ
倉敷駅前に着いたのが22時半ごろ。
フラフラの状態でホテルを探し、駅前のビルの中にある某全国チェーンホテルにチェックイン。シングルで4,500円。
出発から40時間余り、やっと入ったまともな宿である
ホテルで聞いた駅近くにある無料の駐輪場(!)に原付を突っ込み、駅前のアーケードでまだ開いていた居酒屋だか中華料理屋だかよくわかんない店でラーメンとビール。またラーメンかよ!ラーメンしか食ってねえ!
ホテルに戻って0時には寝た。
疲れ切っていたので倉敷の写真は一枚もない。
倉敷はなんていうか気取ってなくてゆるくて良い
ちゃんとした個室と風呂とベッドってすごいよな、最後までチョコたっぷりだもん。
予定では直島にちょっと寄ろうとか思っていた。
しかし朝っぱらから小雨である。ていうかイヤな感じがする。
台風が来るのはまだもうちょっと先だと思って、台風情報ノーチェックでここまで来てしまっているので、今現在の台風の進行状況がまったく分からないが、とにかくイヤな感じがする。
余計な寄り道をせずにまっすぐ帰途することにして、小雨のなか朝9時には倉敷を出発
雨は降り続くががそれほどひどくはなく、気温も低くはなかったので割と快適に2号線を走る。
往路では迂回していた原付不可の姫路バイパスにひっかかり、県道5号線に迂回
5号線をまっすぐ走ると姫路城に到着。13時。
日本三大平山城の2つ目、姫路城(別名・白鷺城)はあいにくの工事中。ちなみにあと一つの津山城も岡山県にある。
雨だし早く帰りたかったので外から眺めただけで早々に去ることに
加古川、明石を抜けて2号線を大阪方面へ。雨がだんだんひどくなってきた。
途中、体を乾かしがてらガストで昼食を取る。今回の旅でようやくラーメン以外のメシを食った。
大阪に近づくにつれ、渋滞が激しくなっていく。
天候が天候だし、時間もないのでそれまで禁じていたすり抜けを解禁。
雨もますますひどくなってきた。
淀川を越えた阪神野田の交差点を左折。このまま名阪国道に抜けるつもりだったが、ずぶ濡れの状態で旧国道を走る気に慣れなかったので、なるべく市街地の多い1号線へルート修正。
国道1号の枚方を抜けたあたりで、ワークマンで買った合羽がいよいよ浸水しはじめた。これは非常にまずい。
ていうかこの状態で山間部に入ると、ワリとマジメに命が危ない。
20時過ぎ、たまたま見かけたネットカフェにしばらく雨避けに入ることにする。
ネットカフェでずぶ濡れの服や手袋や靴下を広げられるだけ広げて干し、台風情報をチェックしてみたら、思い切りこっち来てますやんか…
体と服が乾くまで、と思って入ったが、このまま走り続けるのは困難と判断。台風通過までここで待避すると決めた。
台風情報を小まめにチェックしながら台風通過を待つこと9時間。
朝5時前、台風通過とほぼ同時ぐらいにネカフェを出る。
雨はまだ少し残っていたが、1号線を北へまっすぐ京都へ上る。
東寺を曲がり、西本願寺の横を通って大津方面へと早朝の京都を走りぬける。
大津を過ぎたあたりで風がひどくなってきた。
力士のぶちかましをくらったような風が、横っ腹からバイクを押す。
姿勢をできるだけ低くして、風のタイミングに合わせて体を傾けないと隣の車線まで吹っ飛んでしまいそうだ。
風は強いが台風直後の空は明るく澄んでいて、馴染みの1号線をどんどん走った。
結局家に着いたのは11時半ごろだった。
八幡のネカフェからここまで160kmぐらいだから、ほぼ妥当な時間だろう。台風さえなかったら、朝ネットカフェを出る前には家に着いていた計算だがこれも仕方ない。
今回の全ての走行ルートはこんな感じであった
道を間違えたり、当初の予定とずれたりしたところもあったけど、とにかく無事に帰って来られて良かった良かった
早速だがメーターをチェック
メーター距離28,203.4km
今回の総距離1,204.4kmであった。
おつかれさま、俺。
参考までに途中の距離と燃費を載せておく。
満タン法だがCD50には燃料計がなく、目分量で測っているのでかなり誤差があるだろう。
区間の最大燃費は58.25km/L
最低燃費は37.83km/L
平均 51.65km/L
であった。
ガソリン代は出発前に満タンにした分を合わせても4千円ちょっとである。
およそ他のどんな移動手段も、これだけの距離を移動してこの金額で済ませることはできないだろう。といっても宿やメシも含めると総額3万弱ぐらいかかったけど。まあとにかく
原付は最強
もっとたくさん時間があって、ずっと天気が良かったら、もっと楽しかったのかなぁ
あとこれ書いてて思ったけど、もっといっぱい写真撮れば良かったね。
帰ってきて見てみたら、やたら路面電車の写真が残ってたけど、初日の福知山から尾道とか、帰路の倉敷~大阪~名古屋とか、一番辛かったところはカメラ出す余裕もなくて全然写真が残ってなかった。余裕がなくなってくると、道路の端に寄せてカメラを出す、っていうただそれだけのことがめんどくさくてできなくなるんよね。あとすんご~く気持ち良く、それこそ夢中で走ってるときとかも、写真撮るためにいちいち止まりたくないっていう気がしてつい撮り逃してしまうんよね~。今回の反省点。
そういえば、福知山で買った関西版のロードマップにはさすがに松山の道路は載ってなくて(当たり前だけど)、頼りたくないけどいざというときのためにスマホ欲しいと思いました。誰かください
なにしろインドに行く前は、ガチで2,000円ぐらいしか現金を持っていないという有様だったので、キーシリンダー交換どころか、シリンダーからの鍵の複製費用すらままならず、仕方なく放置していたんである。
ちなみにその2,000円といくらかのお金は、スニーカー(まともな靴さえなかった)と空港までの交通費に消えた。
それでというわけではないが、最近小金も貯まったので 某オークションでたまたま目についた原付を落札したのが今月のはじめのことであった。
盗まれた4速のスーパーカブカスタムが気に入っていたので今回もカブを買うつもりだったが、4速で丸目でカブエンジン、しかも値段のワリに程度が良い、キャ リアもある、ということで出物があったCD50にしてみた。いままでカブとスクーターしか乗ったことがなく、ミッションのバイクはインドに居たときにちょろっと乗ったぐらいで不安もあったが何事も慣れである。
まあといってもCD50のミッションは リターン式じゃなくてロータリー式で、これまたちょっと独特なんだけど
~ルート設定~
原付を手に入れたら、距離的にもそう遠くないことだし、最近なにかと話題の"明るい廃墟"ピエリ守山に行きたいと思っていた。ヒマが取り柄のニートのくせにこういう時に限って仕事が埋まり、なかなか遠出もできず。少しでもミッション操作に慣れようと、夜に家の近所をぐるぐる走り回ったりして過ごす。
じりじりと待つ一週間が過ぎ、ようやく連続で予定が空いたのが13日~16日の4日間。
ということで12日の夜に行程を練る
これで片道111kmほど
のんびり行っても日帰りの距離である。
何年か前、バイトの夜勤明けにそのまま富士山までカブで行き、富士宮口5合目から5時間で登頂・下山してカブでまた寝ないで走ってバイト先の夜勤に直行という、0泊2日往復500km(富士登山込み・前後夜勤)の旅をしたことがあるが、片道111km程度じゃ4日も休みがあるわりに物足りない。
どうせ4日もあるのだし、片道500km、往復1,000kmを3日間で、という超絶アバウトな距離の見積もりを先に立て、Googleマップを開いて名古屋から500kmぐらいで行けそうなところを物色すると「しまなみ海道」というのがあった。
「四国まで唯一原付で渡れる」
「しかも片道500円で」
これはちょっと面白そうじゃないか
しかしただ橋を往復してもなんなので、せっかくだから松山まで、というと片道600kmぐらい。ちょっと距離が多いが、まあなんとかなるだろう。
他にも関東方面か、北陸方面のどこかを考えてはいたが、関東方面は富士山以外にも車でさんざん通ったことでもあるし、北陸方面は道のりがずっと山間部という ことでパス。山陰方面は行ったことが無かったので行って見たかったが、達成感的に「しまなみ海道」に勝てる物件が見つからず今回は見送りとなった。
これまた10年ほど前に「眠らなければ日帰りである」を合い言葉に0泊3日博多日帰りツアー「ご当地キティちゃん集めの旅」というのをやったことがあって、そのときは 2人交代で友人の車を運転してほぼノンストップで1600kmを55時間(うち45時間が移動時間)、しかもその直前に2mぐらいの足場から落ちて左ひじ が粉砕骨折したばかりでギブスを巻いていた(そのギブスは旅の途中でどこかへ消えてなくなったが)。とまあ山陽方面は一度ぐらいは通ったことがあったのも 理由の一つである。
もっと時間があったら東北まで行きたかったが、片道800kmを4日で往復するのは、原付ではちと辛いってか不可能
帰宅して数時間、そんなこんなを考えながらできあがったのがこのルートである
まず鈴鹿山脈を越えてピエリ守山に行く
それから1号線沿いに京都
そのまま直進すると1号線は9号線に変わり、そこから亀岡で曲がって篠山街道へ
篠山街道から姫路~岡山・倉敷~福山と抜けてしまなみ海道の基点である尾道
尾道からしまなみ海道を渡り、今治、そこから松山
帰りは松山からしまなみ海道を逆に抜け、倉敷へ
時間に余裕があれば倉敷から宇野港、さらに直島
大阪までは2号線、大阪からは旧の名阪国道を通って名古屋に帰る
そういう予定をとりあえず立てた。
ピエリ守山から先はあくまで"ついで"である。
グーグル先生は最短ルートは教えてくれるが、「その道が原付で走行するのに支障ないかどうか」までは教えてくれないため、毎度のことだがところどころ原付で走行できないバイパスが含まれている。
日本の道路設計は原付みたいな乗り物で主要都市間の長距離を移動するなんてことはまるっきり想定していないんである。
そのうえ原付の場合の移動時間がどれだけかかるのかも教えてくれないので、経験的に「これぐらいだろう」という見込みで考えるしかない。
ま あ初日(24時間以内)に姫路より先のどこかに到達できればオンの字であろう。500kmを1day、というのが一応の目標値である。当然20時間ぐらい は運転することを前提としているが、なにしろ京都以西はまるで勝手が分からないので距離もそれほど稼げないだろうとは思っていた。
細かい行程をさらに詰めたかったが眠かったので早々と就寝。
2013年10月13日(日)
そして迎えた出発の朝。5時ごろ目を覚ましたので、6時を出発時刻とする。
0時頃から夜通し走ってもいいのだが(その方が効率がいい)、そうすると営業がはじまるはるか前にピエリ守山に着いてしまうので、たまたま5時に目が覚めたのは丁度良かった。
一応出発前にメーターをチェック。
メーターは26,999.0km。買った時からそんなに増えてはいない。
ちなみに地図はない
おまけにスマホもない。荷物も肩掛けカバンひとつと、荷台にくくりつけた合羽と防寒着ぐらい。
なんとなれば今回の隠しテーマは
- 箱を付けない(ノー!箱ノー!)
- ネットに頼らない(ノー!ネットノー!)
- 地図を持たない(ノー!マップノー!)
- テントを持っていかない(ノー!テントノー!)
基本的に何か困ったら
金で解決!
という方針
予定通り6時出発
近所のGSでガソリン満タンにしておく
~名古屋から近江八幡~
国道1号から桑名を右に曲がり、三岐鉄道北勢線沿いに員弁(いなべ)の奥地に入っていく。
これ以上行くとコンビニがなくなるあたりで左に曲がると石榑峠(いしぐれとうげ)である。
山間部はさすがに寒く、峠の途中で荷台にくくりつけた合羽を引っ張り出して着た。
鈴鹿山脈の竜ヶ岳と釈迦ヶ岳に挟まれた石榑峠から国道421号を琵琶湖に向けてずーっと下って行くと自然に近江八幡にぶち当たる。
着いたのは10時半ごろ
せっかくなので寄ってみる。この頃はまだ精神的にも体力的にも余裕があったのだ
てっきり近江八幡という名の神社があるのだと思ったが、麓にあるのは日牟禮八幡宮
草創は131年。元は八幡山頂に宮社があったが16世紀末に豊臣秀次が城を築く際に下の社に合祀されたらしい
写ってないが画面外右手に能舞台がある
この日は婚礼でもあるらしく、晴れ着の姿がちらほら
余裕がありまくりだったので八幡山頂までハイキング
八幡山展望台
湖東平野に浮かぶようにぽつぽつと並ぶ小山の群れ。戦国時代はあれら小山のあちこちに山城があったんだろうなぁとかぼんやり思う。
このへんの見えてる山のどっかに安土城があるはず
秀吉の姉であり秀次の母、智が開いた瑞龍寺
昭和38年(36年?)に京都からここへ移された
登るだけで体力を使い果たしたので帰りは軟弱にロープウェーで下ることにする。
料金は片道460円
近江城下が一望できる
~ピエリ守山~
近江八幡から湖周道路(県道559号)を通ってピエリ守山へ琵琶湖南岸の湖周道路と中山道をあわせて「さざなみ街道」となっていて、ドライブやサイクリングが楽しめる。
暖かでお天気の良い3連休の中日ということもあり、たくさんのライダーやチャリダーとすれ違った。
景色も良く、Tシャツ一枚で走るのが楽しすぎて写真はない。全行程中、この時がもっとも薄着だった
そして11時半ごろ、今回の旅の唯一の目的地であるピエリ守山に到着
あれ?なんか…人多い?
それでもあいかわらず閑散とした館内
うわぁーネットで見たまんまやん!
ちびっ子どころか人っ子ひとりいないキッズコーナー
この人の少なさならスーパーボールもすくい放題である
たぶんネット見て俺みたいな興味本位の冷やかし連中がたくさん来たんだろうなぁ
撮影禁止の貼り紙ががが
琵琶湖にバスボートがたくさん出ていた
広大なフードコートで一店舗のみ営業していたリンガーハットも15日でついに閉店ということで、閉店前の最後の食事を楽しむ
~京都から丹波~
1号線を大津方面に、山科の原付だとややこやしいジャンクションを抜けて京都入り。清水寺の脇を通り抜け、数々の名所・旧跡には目もくれず、一直線に西進。
あっという間に京都は後ろに過ぎていく
篠山街道(国道372号)に入るつもりだったので、青看板に372の文字を探しながら走るがどこまで行っても見当たらない。
どうやら見落としたらしい。
ここが地図を持たない弱さである。「あれ、なんかおかしいな~」と思いながらも山陰道をどんどん進んで行く俺。知らない土地で、こういうときに焦って変なとこで曲がったりすると往々にしてドハマりするのだ。
これは山陰道(国道9号線)を福知山に入ったあたりの風景。
この写真を撮ったときはまだここがどこだか全く把握していない。
それにしてもこういう時期の日本の里山というのは本当に美しい
さびれた、というかさびれ尽くしたダイナーがあった。
とうとう福知山市入りするに至って、どうやら完全に道を間違えてあらぬ方向へ来てしまったことに気付く。いや、うすうす気付いてはいたのだが「もうこのままではどうしようもない」というレベルにまで道を間違えてしまったことを認めざるを得なくなる。
なにしろ、このまま進むと鳥取に着いてしまう
止む無く、コンビニで地図を購入。「地図を持たない」という縛りが初日にして早速崩れてしまったがそんな悠長なことも言ってられない状況である。
現在地すらわからないため、コンビニの外にいた優しそうなおじいさんにここがどこだか訪ねると、福知山市街のすぐ手前だということがこの段階でようやく発覚。
一瞬、このまま鳥取まで行ってしまおうかとも考えたが、どう考えても日程がおかしくなりそうなのでそれは止め、JR福知山線山線沿いの国道175号経由で篠山街道(国道372号)に復帰することにした。
本来のルートではこう行くつもりだった
しかし亀岡で曲がり損ねてしまった俺が実際に走ったのはこう
実に50kmのロスである
アップダウンの激しい福知山までの道のりに要した無駄な苦労とガソリンを返して欲しい。
道の駅「丹波おばあちゃんの里」にて
~丹波から姫路~
無事に国道372号に復帰し、加東市あたりで日没。CD50(に限らないが)のライトは暗く、夜道を走るのは難儀する。
次のカーブがどっちに曲がっているのか直前にならないと分からないというのは怖いもんである。
ていうかめちゃくちゃ寒い!途中のコンビニでネックウォーマーを購入。コンビニさまさまである。しかしどんどん荷物が増えていくな…
あとヘルメットが微妙にあってないのか頭が痛い。いままでホームセンターで買った適当なメットしか被ったことないけどこんなに頭痛くなることなんて無かったのに…
ヘルメットのフィッティングは重要
である。今回の旅で学んだ貴重な教訓だった。あと
地図はやっぱり必要
もしくはスマホ
~姫路市街~
19時半ごろ姫路駅前に到着。冷え切った体、バイクを降りても頭が痛い、最悪のコンディションである。
駅前を東西に走るメインストリートが一方通行とかなんてふざけた街なんだ姫路
ここまでの総距離330km、時間にして14時間弱。よく走ったものである。
姫路駅前のアーケード
駅ビルの北側はなんか工事中
姫路の雰囲気はどことなく仙台に似てるなぁなどと思ったりした。
頭痛がひどくてちっとも収まらないので泊まるところを探す。ネットに繋がる携帯を持ってないので足で探すか人に尋ねるかしかない。(ていうか、ちょっと前までそれが普通だったよね)
駅の北側に某全国チェーンのホテルがあったので空室状況を尋ねると、あいにくシングルは満室とのこと、駅周辺をうろうろすると南側のロータリーの横にもこれまた違う全国チェーンのホテルがあったが、こっちのシングルの値段がさっきのチェーンのダブル相当だったので、どうしようか悩んだ挙句ネットカフェに入った。
ネットを使わない縛りもここで終了である。
(しかしネカフェのPCがいまだにPen4だったのには参った)
しばらくネカフェで仮眠を取ると、少し頭痛が収まってきた。冷え切っていた体もちょっと元気を取り戻した気がする。時刻は既に0時に近い。今から宿に入るより(日程的にも)もっと先へ走った方が良い気がしてとりあえず走り出した。やばくなったらまたネカフェに駆け込めば良い。丁度よくネカフェがあるのかどうか、それはわからないが。
2013年10月14日(月)
~姫路から岡山・倉敷、そして尾道~
0時に姫路を出発。
深夜3時に岡山
早朝6時に尾道
さすがの大都会岡山もこの時間では人も歩いていない。なんとなく駅前まで行ってみたが写真を撮るの忘れた。まあ暗かったしね…
どうにも寒いわ眠いわ
とくに膝頭が超絶冷えるので貼るホッカイロミニを2枚ずつ4枚貼り付ける。4枚も貼ったワリにめちゃくちゃ暖かくはならなかったが冷えは若干やわらいだような…。お腹と背中にもでかいのを一つずつ貼る。とくに背中(腰のあたり)のがよく効く。
バイク用のズボンは膝にホッカイロ用のポケットをつけとくべきだと思う。
~尾道から"しまなみ海道"~
2号線をまっすぐ走っていたらいつの間にか西瀬戸自動車道に変わっていて、危うく原付で高速に乗ってしまうところだった。尾道で慌てて降りる。原付専用道で尾道大橋を渡るとそこはもう向島である。
尾道大橋は2013年4月から通行無料になったようである(ちなみにそれまでの通行料は10円)。
向島から見た因島大橋。早朝6時半ごろの写真。
ロクに下調べもせずに出発した俺は、ここに来るまでてっきり500円払えば四国まで一気に渡れると思っていた。最初に500円払えばそれでいいと思っていた。しかしどうやら違うようなのだ。
西瀬戸自動車道は尾道から今治まで
- 向島
- 因島
- 生口島
- 大三島
- 伯方島
- 大島
島と島の間にはそれぞれ
- 尾道大橋(新尾道大橋)
- 因島大橋
- 生口橋
- 多々羅大橋
- 大三島橋
- 伯方・大島大橋
- 来島海峡大橋
つまり金を払って橋を一つ渡ったら、次は島の反対側まで下道を走り、そこでまた次の橋を渡る、というのを7回繰り返すのである。
なんというめんどくせぇ…
しまなみ海道の原付・自転車歩行者道というのは、島々に暮らす人々の生活道路でもあるのでそれも致し方ない。
しかし、それによって高速道路部分でさえ総延長59.4kmに及ぶ西瀬戸自動車道は、総距離約70km、橋ごとに最大高低差70mのクソ狭いワインディングを伴う、サイクリングコースとしても原付道としてもかなり過酷な部類のルートと化すのだ。
ただし眺めは良い。最高だ。
これを面白いと思うかは好みの分かれるところだろうと思う。
それにしてもルートが分かりづらい。自転車ならともかく原付で初見だと結構迷う。
俺の感想は
「1回なら楽しいけど帰りは通りたくねぇ…」
であった。しかも帰りにここを通る頃には暗くなっている公算が高い。
とは言え、これが原付で四国に渡れる唯一の道である以上、帰りもここを通るより他ないのである。
ちなみに通行料は
因島大橋 | 50 |
生口橋 | 50 |
多々羅大橋 | 100 |
大三島橋 | 50 |
伯方・大島大橋 | 50 |
来島海峡大橋 | 200 |
となっていて、あらかじめ50円玉を4枚・100円玉を3枚用意するか、50円x10枚綴りの回数券を買っておくのがいいだろう。俺は50円玉が足らなくなり、一部100円玉で支払った。
バイクブログによくありそうな写真を撮ってみる。合羽も防寒着も既に着てしまっているので荷台に載っているのはタオルしか入ってない袋である
あとで知ったが、しまなみ海道は一部では「サイクリストの聖地」などと呼ばれているらしい。
案内看板。ところどころにあるが原付なのでロクに見ることはない
原付・自転車歩行者専用道の入り口。対向車線と併せて全幅2.5mしかないのでけっこう狭い。あと車道から隠れていることも多く、入り口が分かり難い。
自動車道の橋下を通る因島大橋の専用道
料金ポスト
なぜか恐竜がいる。
生口橋。カップ麺で朝食を済ませた直後。気付いたらラーメンしか食ってねえ!
絶景絶景
こういうアングルで写真が撮れるのも"しまなみ海道"の醍醐味の一つである。
~平山郁夫美術館~
トイレ休憩で止まったら、ふと見かけたので入った。入館料900円
郁夫ちゃんって生口島出身だったのね、全然知らなかった。
小ぢんまりとしたエントランス
ロビーまでは撮影可でございます…
出身地らしく、小学生頃からの子供らしい作品も展示されていて、「こんな昔の絵を晒されるとか、さすがの郁夫ちゃんもこれはたまらんだろうなぁ」と思ったり…
しかしやっぱりあの色彩感覚というのは中学生ぐらいから既にある程度確立していて、さすがにそこは才能なんだなぁと
~多々羅から今治~
急に南国情緒たっぷりになってきた
なぜか置いてある海自のヘリ
これはSH-3 シーキングかな?
すぐ後ろに書家の村上三島(むらかみさんとう)の記念館があって、どうやらそのゆかりということらしいが…
多々羅しまなみ公園にはこういうリア充がいっぱいいます(白目)
道の駅・多々羅しまなみ公園
しまなみ海道だけあって原付だらけ
わりとあっさり通り抜けたが、多々羅と大三島には温泉もあったり、多々羅大橋での鳴き龍現象とか
下調べは大事だよ!
やっぱスマホ欲しい…
来島海峡大橋からの瀬戸内海
すばらしいお天気に恵まれました(この日までは)
っていうテンションでは全然ありませんでしたけれども…
~松山城~
糸山公園で橋を降り、"しまなみ海道"も一応の終点。
今治市街を掠めて国道196号・今治街道へ
海沿いに走る国道をひたすらまっすぐ走っていくと、自然と松山の中心部、松山城のすぐワキにたどり着く。
こういうなんも考えなくて良い道は先生大好きだよ
11時半ごろ松山市街入り
松山城郭からの松山市街
日本に10個ある松山城の一つで日本三大平山城(ひらやまじろ)の一つ、松山城。別名・金亀城(きんきじょう)
城めぐりみたいになってきたが別に城好きではない。
あの天守まで132m、らしい
太鼓櫓(やぐら)前の坂。近くにいた観光ガイドのお姉さんが日本の方ではないらしく、カタコトの日本語で松山城の説明をしていて俺の中に衝撃が走る。
とうとう外国の人に日本の良さを解説される時代になったかー
太鼓櫓のアップ。何度も言うようだが別に城好きではない。
重要文化財の大天守。前の人は別に知り合いではない。
天守閣観覧料500円だが時間もないし結局中へは入らず
ギーギーともの凄い音を立ててトラムが走っていた。
時間があったら乗ってみたかった。
~松山駅~
タクシープールと化した松山駅~道後温泉~
13時には松山を出て、すぐ近くの道後温泉へ。てかそろそろ風呂入りたい。
『千と千尋の神隠し』に出てくる油屋のモデルになったとも言われる道後温泉本館
入湯料はたったの400円である。湯船はちっちゃかったが、風情があってなかなか良いものだ。
外国人観光客もちらほらいた。
松山は観光ガイドがあちこちにいて、俺のような何も知らない風来坊にも親切に案内してくれて、フレンドリーで良いところである。
~道後温泉から今治~
道後公園の横を通り抜け、国道317号を今治方面へ
すぐに山間部に入り、せっかく温泉であったまった体が早速冷える。あと温泉に浸かったせいか眠い。
よく考えたら前日の早朝から30と数時間、姫路のネットカフェで仮眠を取った以外は走りっぱなしなので当然か…
あまりにも眠いので国道脇の退避スペースでまたバイク旅っぽい写真を撮って、このままこの場所にゴロっと横になる。寝てたら他の車が入って来てあせったが、20分ほど仮眠。アスファルトあったかいナリィ…
車と違ってさっと仮眠が取れないのがバイクの辛いとこである。
~夜の"しまなみ海道"~
国道317号のワインディングをずっと下っていって今治市街から再び"しまなみ海道"途中まではまだ明るかったが、走っているとあたりはどんどん暗くなっていく。
真っ暗な因島大橋。ここを原付で走りぬけるの楽しいけどちょっと怖い
~尾道から倉敷~
尾道大橋を通って本州へ帰還。
尾道から国道2号を逆戻り。今度はなんとなくわかっているので気は楽だがやっぱり寒い。再びホッカイロを体に貼り付けまくり、ひたすら走る。
今晩こそは宿を取ってきっちり休むと決めていたので国道2号を降りて倉敷市街へ
倉敷駅前に着いたのが22時半ごろ。
フラフラの状態でホテルを探し、駅前のビルの中にある某全国チェーンホテルにチェックイン。シングルで4,500円。
出発から40時間余り、やっと入ったまともな宿である
ホテルで聞いた駅近くにある無料の駐輪場(!)に原付を突っ込み、駅前のアーケードでまだ開いていた居酒屋だか中華料理屋だかよくわかんない店でラーメンとビール。またラーメンかよ!ラーメンしか食ってねえ!
ホテルに戻って0時には寝た。
疲れ切っていたので倉敷の写真は一枚もない。
倉敷はなんていうか気取ってなくてゆるくて良い
2013年10月15日(火)
目が覚めたら8時半を回ったところだった。予定よりちょっと寝すぎてしまった。ちゃんとした個室と風呂とベッドってすごいよな、最後までチョコたっぷりだもん。
予定では直島にちょっと寄ろうとか思っていた。
しかし朝っぱらから小雨である。ていうかイヤな感じがする。
台風が来るのはまだもうちょっと先だと思って、台風情報ノーチェックでここまで来てしまっているので、今現在の台風の進行状況がまったく分からないが、とにかくイヤな感じがする。
余計な寄り道をせずにまっすぐ帰途することにして、小雨のなか朝9時には倉敷を出発
~雨の姫路~
雨は降り続くががそれほどひどくはなく、気温も低くはなかったので割と快適に2号線を走る。
往路では迂回していた原付不可の姫路バイパスにひっかかり、県道5号線に迂回
5号線をまっすぐ走ると姫路城に到着。13時。
日本三大平山城の2つ目、姫路城(別名・白鷺城)はあいにくの工事中。ちなみにあと一つの津山城も岡山県にある。
雨だし早く帰りたかったので外から眺めただけで早々に去ることに
~姫路から大阪~
加古川、明石を抜けて2号線を大阪方面へ。雨がだんだんひどくなってきた。
途中、体を乾かしがてらガストで昼食を取る。今回の旅でようやくラーメン以外のメシを食った。
~雨の元町~
なんとなくにぎやかな交差点をパチリ大阪に近づくにつれ、渋滞が激しくなっていく。
天候が天候だし、時間もないのでそれまで禁じていたすり抜けを解禁。
雨もますますひどくなってきた。
淀川を越えた阪神野田の交差点を左折。このまま名阪国道に抜けるつもりだったが、ずぶ濡れの状態で旧国道を走る気に慣れなかったので、なるべく市街地の多い1号線へルート修正。
国道1号の枚方を抜けたあたりで、ワークマンで買った合羽がいよいよ浸水しはじめた。これは非常にまずい。
ていうかこの状態で山間部に入ると、ワリとマジメに命が危ない。
20時過ぎ、たまたま見かけたネットカフェにしばらく雨避けに入ることにする。
ネットカフェでずぶ濡れの服や手袋や靴下を広げられるだけ広げて干し、台風情報をチェックしてみたら、思い切りこっち来てますやんか…
体と服が乾くまで、と思って入ったが、このまま走り続けるのは困難と判断。台風通過までここで待避すると決めた。
2013年10月16日(水)
台風情報を小まめにチェックしながら台風通過を待つこと9時間。
朝5時前、台風通過とほぼ同時ぐらいにネカフェを出る。
雨はまだ少し残っていたが、1号線を北へまっすぐ京都へ上る。
東寺を曲がり、西本願寺の横を通って大津方面へと早朝の京都を走りぬける。
大津を過ぎたあたりで風がひどくなってきた。
力士のぶちかましをくらったような風が、横っ腹からバイクを押す。
姿勢をできるだけ低くして、風のタイミングに合わせて体を傾けないと隣の車線まで吹っ飛んでしまいそうだ。
風は強いが台風直後の空は明るく澄んでいて、馴染みの1号線をどんどん走った。
~帰宅~
結局家に着いたのは11時半ごろだった。
八幡のネカフェからここまで160kmぐらいだから、ほぼ妥当な時間だろう。台風さえなかったら、朝ネットカフェを出る前には家に着いていた計算だがこれも仕方ない。
今回の全ての走行ルートはこんな感じであった
道を間違えたり、当初の予定とずれたりしたところもあったけど、とにかく無事に帰って来られて良かった良かった
早速だがメーターをチェック
メーター距離28,203.4km
今回の総距離1,204.4kmであった。
おつかれさま、俺。
参考までに途中の距離と燃費を載せておく。
日付 | 時間 | 距離 | 給油量 | 金額 | 移動距離(差分) | 移動距離(積算) | 給油量(積算) | 燃費 | 平均燃費 |
10/13/2013 | 6:13 | 26,999.0 | 3.22 | 489 | 0.0 | 0.0 | 0.00 | - | - |
10/13/2013 | 12:35 | 27,143.1 | 2.82 | 440 | 144.1 | 144.1 | 2.82 | 51.10 | 51.10 |
10/13/2013 | 15:43 | 27,230.1 | 2.30 | 366 | 87.0 | 231.1 | 5.12 | 37.83 | 45.14 |
10/14/2013 | 0:47 | 27,350.1 | 2.06 | 319 | 120.0 | 351.1 | 7.18 | 58.25 | 48.90 |
10/14/2013 | 6:35 | 27,473.6 | 2.43 | 369 | 123.5 | 474.6 | 9.61 | 50.82 | 49.39 |
10/14/2013 | 11:54 | 27,610.1 | 2.89 | 448 | 136.5 | 611.1 | 12.50 | 47.23 | 48.89 |
10/14/2013 | 20:26 | 27,759.0 | 2.56 | 399 | 148.9 | 760.0 | 15.06 | 58.16 | 50.46 |
10/15/2013 | 12:32 | 27,923.8 | 2.84 | 471 | 164.8 | 924.8 | 17.90 | 58.03 | 51.66 |
10/16/2013 | 7:30 | 28,099.1 | 3.60 | 576 | 175.3 | 1,100.1 | 21.50 | 48.69 | 51.17 |
10/16/2013 | 10:41 | 28,203.4 | 1.82 | 288 | 104.3 | 1,204.4 | 23.32 | 57.31 | 51.65 |
満タン法だがCD50には燃料計がなく、目分量で測っているのでかなり誤差があるだろう。
区間の最大燃費は58.25km/L
最低燃費は37.83km/L
平均 51.65km/L
であった。
ガソリン代は出発前に満タンにした分を合わせても4千円ちょっとである。
およそ他のどんな移動手段も、これだけの距離を移動してこの金額で済ませることはできないだろう。といっても宿やメシも含めると総額3万弱ぐらいかかったけど。まあとにかく
原付は最強
もっとたくさん時間があって、ずっと天気が良かったら、もっと楽しかったのかなぁ
あとこれ書いてて思ったけど、もっといっぱい写真撮れば良かったね。
帰ってきて見てみたら、やたら路面電車の写真が残ってたけど、初日の福知山から尾道とか、帰路の倉敷~大阪~名古屋とか、一番辛かったところはカメラ出す余裕もなくて全然写真が残ってなかった。余裕がなくなってくると、道路の端に寄せてカメラを出す、っていうただそれだけのことがめんどくさくてできなくなるんよね。あとすんご~く気持ち良く、それこそ夢中で走ってるときとかも、写真撮るためにいちいち止まりたくないっていう気がしてつい撮り逃してしまうんよね~。今回の反省点。
そういえば、福知山で買った関西版のロードマップにはさすがに松山の道路は載ってなくて(当たり前だけど)、頼りたくないけどいざというときのためにスマホ欲しいと思いました。誰かください